ヘーゲルの『法の哲学』
倫理を学問的に学ぶ場合、古典を読むことは欠かせません。
19世紀ドイツの哲学者、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの『法の哲学』もそのひとつです。
実はヘーゲルの哲学は、現代の哲学から多くの批判を受けており、前時代の哲学だと思われています。
ですから少し現代思想をかじったひとからすれば、「どうして今更ヘーゲルを?」と思われるかもしれません。
しかし、倫理の問題を考える場合、ヘーゲルは避けては通れませんし、彼の議論はなお現代にあって有効です。
ヘーゲルの倫理とカントの倫理との比較
ヘーゲルの倫理を考える場合、カントの倫理との比較がわかりやすいでしょう。
カントの倫理(『実践理性批判』などで展開されます)は、かなりストイックなもので、人間はいわば一人で倫理と向き合います。
一方ヘーゲルが『法の哲学』で展開する倫理観は、いわば二人以上、複数の人間のいる倫理観です。
ヘーゲルの「人倫」
現実を生きていると、うまくいかないことがあります。
それは、他者が自分とは異なる都合で生きているからです。
しかし、うまく生きていくためには、お互いを尊重しあい、そのお互いの「都合」をすり合わせていく必要があります。
そこに倫理が生まれてきます。
ヘーゲルはそれを「人倫」と呼びました。
このようにヘーゲルの『法の哲学』は、価値観が多様化する現代にこそ読まれるべき古典なのです。
ヘーゲルの本
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
フランス革命からウィーン会議、そして三月革命にいたる政治的時代に、ヘーゲルが論じた哲学とは。一法学者によるヘーゲル研究の軌跡。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1部 法の実定性(ヘーゲルにおける「ポジティヴィテート」概念についてー精神的自然としての法/青年マルクスにおける宗教批判の位相ー法の批判への一階梯として/法の実定性と法学の実証性ーヘーゲルよりケルゼンに至る/若きヘーゲルの宗教論、あるいは“律法”と“道徳”の弁証法/若きヘーゲルの“国制”論ー『ドイツ憲法論』をめぐって)/第2部 三月前期の法思想(ヘーゲルの“法哲学講義”-三月前期の思想史として/フォイエルバッハとサヴィニーー法典論争外伝/三月前期の法思想ーサヴィニーとグリム、そしてヘーゲルとガンス/ヘーゲルの“点”、あるいは立憲君主制について)/第3部 法文化論序説(法の神学/法の詩学/法の哲学)
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
ヘーゲルは、『法の哲学』の主題を「自由」であると語っている。国家、社会を哲学の立場から論ずるということは、国家、社会、そして文化一般を、人間とはいかなるものか、とりわけ人間の考える能力というものはどのようなものかという所にまで引きつけて検討することである。本書は、四角四面に構えて、国家、社会を論ずるということを逸脱した、読者の微苦笑を誘うような「人間通」ヘーゲルという側面を表面に取り出しつつ、難解きわめるヘーゲル『法の哲学』をときほぐし、その全体像を分かり易く解説し、本棚の奥で埃のなかに埋もれさせておくには余りにも惜しいと言うべき、豊穣かつ新鮮な知を提示する。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1部 近代国家の現実と哲学ーヘーゲル『法の哲学』を手引きとして(なぜ、今、ヘーゲル『法の哲学』か/『法の哲学』の基本/自然法と実定法)/第2部 ヘーゲル『法の哲学』(抽象法/道徳/人倫/その後のヘーゲル『法の哲学』)
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
佐藤康邦(サトウヤスクニ)
1944年、東京に生まれる。1973年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学(2005年博士(文学)号取得)。現在、東京大学名誉教授、放送大学客員教授。専攻、倫理学・哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
本書における諸研究は、英語圏の学問においてはJ・N・フィンドレーの『ヘーゲル再検討』によって開始され、アヴィネリの『ヘーゲルの近代国家論』によって継続されてきた、ヘーゲル思想の再評価をさらに継続するものである。
【目次】(「BOOK」データベースより)
ヘーゲルによるカント道徳性の批判的獲得/制度的規範性-権利・法の実定性/政治的アイデンティティとそれをもたらす絆についてのヘーゲルの思想/ポストコロニアリズムと権利/身体における自由-ヘーゲルの「抽象法」における権利の主体および所有の客体としての身体/ヘーゲルの刑罰正当化論/戦争、奴隷制、そしてアメリカ南北戦争のアイロニー-哲学的一分析/ヘーゲル政治哲学における社会契約論と承認の政治/貧困問題の解決策を示唆するヘーゲルの見解-責任ある消費者と市民社会における人倫的なものの回復/法、文化および立憲主義-ヘーゲルとハーバーマスへの評言/ヘーゲル法哲学における国家の(諸)目的/ヘーゲル、ロールズ、そして理性的国家
「ヘーゲルについて」Twitterより
名古屋で福田静夫講師による「法の哲学」の学習会が11月から始まる。
「ヘーゲルの倫理学、即ち人倫の学は法哲学であって、
(1)抽象的な法
(2)道徳
(3)人倫、を含み人倫はさらに家族、市民社会、国家が包括されている。
形式は観念論的であるが内容は実在論的である。」エンゲルス— 水野惠司 (@hegel1770) October 15, 2018
ヘーゲル『法の哲学』では、第3部倫理を、家族・市民社会・国家というフレームで分けつつ、司法活動を市民社会のフレームの上で述べている。国家ではなく市民社会で述べるところが自分には新鮮だった。家族のレイヤーは、法というより慣習の塊ように見えるが、何かしらはありえそう。
— Masaquis Nishiocanus (@msk240) February 27, 2018
ヘーゲルは彼の法哲学において、自分の哲学的法学の中に恣意や欲求という自然的なものを内包しつつ、そういう自然的なものを倫理的なものの基礎としないような仕方で倫理性を論じようとした。だからその主体が恣意や欲求をもとに行動するところの市民社会は「倫理の喪失態」と呼ばれるのだ。
— Sakiya ARAKAWA (@hegelschen) June 28, 2016
和辻には〈根本理法〉への信があり〈人倫的組織としての国家〉「強制(否定)」は自ずと〈倫理的〉である(強制収容所の強制ではない)。ヘーゲル人倫を下敷きにするが『法の哲学』はなく部分相互承認ではなく全体部分相互否定の運動を記述。契約的国家論に未到達なのはしかし和辻固有の限界ではない。
— 岡田啓司『組織とグループウェア』の編著者 (@editorialengine) June 2, 2015
イェリネクの法不法及び社会倫理的意義を先週から読み始めたが、難解すぎて挫折した。基本的な知識(例えばヘーゲルの法哲学)が自分には欠けているから理解できないのも大きいが、訳語の古さとイェリネク本人の文章の難解さがからくる難訳が理解を妨げている。
— Y.K (@Yu_guitarlaw) March 11, 2015
「『法哲学』と翻訳されているが、本書の内容は決して法哲学に限っているわけではなく、ヘーゲルの倫理また政治思想が展開されている。ドイツ語の Recht は、「まっすぐな」を意味する古いドイツ語である reht に由来し、そこから正義、法、権利という意味に派生」(ヘーゲルWiki)
— 世一良幸 (@astroecology) May 28, 2014
哲or倫理学概論のみなさん、入ってみていかがでした? RT @rinritanヘーゲルの『法の哲学』のさわりとして有名なのが「理性的なものは現実的なものであり、現実的なものは理性的なものである」というものがあるわね。ここからさらに深く入っていくのは、大学に入ってからでいいと思うわ
— テツロウ (@in_gibraltar) March 5, 2013
…共同体の倫理そのもの、正義、道徳などは、市民社会には登場しません。だから、理念の現実性が抽象性の域にとどまるといわねばならず、現実性と理念性が不十分なままに対立しています。真の道徳は理念的なものであり、理念が真に現実的なものとなっているのですが。」ヘーゲル『法哲学講義』
— tmiyaza (@tmiyaza) January 14, 2013
【倫理】
○ヘーゲル○
「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である。」
・絶対精神/世界精神
・理性の狡知
・弁証法
・止揚(アウフヘーベン)
・法+道徳=人倫
・市民社会+家族=国家『精神現象学』
『法の哲学』 pic.twitter.com/bk4d7aFZ— KUBON (@KUBON_TKD) November 4, 2012
ヘーゲルにおいては、ヘーゲル哲学体系の全体、論理学、自然哲学、精神哲学の同じく全体体系の中での倫理学の位置付けを明確化し、これら全体における関係性の中で、倫理学であろう精神哲学における法、権利、共同体の部分について理解することが肝要である。
— kotaro (@marupurukoma) August 7, 2012
現代でも多くの示唆とインスピレーションを与える公共哲学の古典は、アリストテレス『二コマコス倫理学』『政治学』ルソー『社会契約論』スミス『道徳感情論』『国富論』カント『永遠平和論』ヘーゲル『法の哲学』などですが、私が知らない臨床哲学の古典は何か教えて下さい。@yuzutacca
— 山脇直司 (@naoshiy) December 8, 2011
ちなみに俺のヘーゲル蔵書は精神現象学(樫山訳)と法の哲学(中公クラシックス)、歴史哲学講義(長谷川訳)、精神哲学(岩波文庫版)、小倫理学(岩波文庫版)だわ。このうち後者2つはまだ未読で積んでて精神現象学も通したけど意味ワカンネ。唯一理解できたのは歴哲と法哲だけか。
— 逍遥するロマンチスト (@NEOSIMONMAGUS) May 9, 2011
ヘーゲル『精神哲学』第二篇C「共同体の倫理」を読む。相変わらずこの人ぶっとんでるなあ。「正義(法)とは意志である」、という彼の意見には同意するが、私的人格としての個人を家族・市民社会・国家へとidentify=収束させるのには反対。
— kazuki seko (@poriteia) March 24, 2011
アリストテレスの実践学に始まり、ロックやヒュームらの道徳哲学、カントの倫理学、ヘーゲルの法哲学と引き継がれる伝統は、20世紀以降の大学の学部構成にそぐわず雲散霧消していた。ロールズ、テイラー、サンデル、セン、ヌッスバムらの公共哲学は、その失われた伝統を復権させたと言ってよい。
— 山脇直司 (@naoshiy) August 29, 2010