【倫理学とキリスト教】
倫理学という言い方は、日本語では非常にニュートラルな言葉です。
ところが、倫理学が発展した西洋では、倫理はつねに宗教的な文化、とりわけキリスト教の文化と結びついてきました。
それゆえ、倫理学について理解するためには、キリスト教の背景が必須になります。
【カントの場合】
イマニュエル・カントは『実践理性批判』で倫理学を論じていますが、それを例にとりましょう。
そこで行われる議論は、私たちが倫理的であるためには、どうしても最後に善悪の帳尻を合わせてくれるような神の存在を要請せざるをえない、という議論です。
もちろん、ここで言われている神とは非常に抽象的な概念であり、キリスト教徒が想定しているような人格神とは同じものではないかもしれませんが、とはいえ、彼がキリスト教的なバックグランドを前提に語っていることは明らかです。
【カントの倫理学の影響】
実際、カントの倫理学はその後、キリスト教神学にも影響を与えています。
ドイツで大きな潮流となったリッチュル学派という系譜がそれにあたります。
リッチュル学派は、神様の問題を倫理の問題に還元しました。
そのため、人間の理屈に単純化しすぎではないか、と次の世代の神学者から手酷く批判されることとなります。